二月杉話
酒とスギそしてオホモノヌシ
酒屋の軒先に、スギの枝葉をまるくくくってつるす。 中世末期ころからのことらしく、もともとはスギの枝葉をたばねたものだった。スギ玉は「スギばやし」「しるしのスギ」などとよばれる。奈良県ミワ(三輪)山の神木とされるスギをもちいてつくられた。 「ミワ」という名は、神酒(ミワ)や酒器(スギ桶や酒かめのミワ)につうじている。そもそもミワ明神が、はじめて酒をかもしたのだと伝えられ、酒屋・醸造業者のあいだで信仰されてきた。 江戸の中期には、日参講という組合があった。明治には醸造業者の活日講がつくられた。
●みぃさんスギとヲロチ 「おおみわはん」 としたしまれるミワ山は、標高467メートルの円錐形で、奈良県大和盆地の南東にある。カムナビのミモロの山とよばれ、その西ふもとヤマトにオホミワ神社がある。オホミワのオホモノヌシ神社ともいう。 まつってある「カミ」は、オオモノヌシ。またの名を、ヤマト・オホモノヌシ・クシミカタマという。ヘビがその使いであるとつたえられ、拝殿前の右側に、樹齢600年をこえる二股の、 「みぃさんスギ」 がある。みぃさんとは、巳さん、すなわちヘビさんである。 高さ40メートルの木の根もとには、ウロがあって、そこに銀色のヘビがすんでいる。いつでも米や塩や卵そして酒がそなえられており、いまでも参拝する人々がおおい。 オホミワ神社はスギ社ともいい、社殿はない。スギが神体とされる。スギの舞という神楽歌もある。が、山とその森林生態系それじたいも神体であった。それが、オホモノヌシであった。 万葉のころから、うつくしい山としてよく知られる。しかし、雲気がたちこめて雨模様のときには、そら恐ろしい感じがするともいう。 オホモノヌシは、雲をよびおこし雨をもたらす。それは水霊であり、ヲロチ身の雷神と見立てられていた。山は立ち入り禁止。とはいえ、すこし北にある、サヰ(狭井)社で入山儀礼をすれば「おやまする」ことができる。 滝あり、大岩あり、スギの巨木もありの山道。そして頂上にはイハクラがある。そこにもかつては、奥のスギという巨木があったといわれる。 ●ヤマノカミからクシミカタマに サヰ社のサヰは、ざわざわ音がするという意味であろう。すぐそばに霊泉がわきでる。それをのめば万病にきくそうだ。そのすこし上、川ぞいのスギ木立のなかに山ノ神遺跡がある。 そこには「山ノ神」とよばれるイハクラがあった。イハクラとは山のなかの大岩や崖で、生きた感じがするものをいう。 その巨岩をとりのぞいたところ、酒造りに関係するたくさんの土製模造品がみつかった。ここは、酒のまつりの遺跡とみなされており、時代は4世紀後半にもさかのぼるという。 酒造りにおいて根本的に重要なのは、水である。サヰの霊泉はそのための水として貴重だったのではないか。そしてその酒の出来がよいか・わるいか、によって占いもしたことであろう。 スヱ器も、ミワ山のふもとのあちこちからみつかっている。5世紀後半からのものとみられる。スヱは陶の文字にあてられる。しかしかたく焼きしまった音感からきている。スヱ器というのはそれ以前の土器とくらべて貯蔵・保水性がたかい。 発掘されたものは、ほとんどが大阪堺市東南でつくられたもので、そこには朝鮮半島から渡来したスヱ器工人たちの大窯業団地があった。なお、ここのカマド塚という古墳は、そこで火葬したとされる特殊なものである。スギの丸太で窯の形をした構造をつくっており、興味ぶかい。 そこから、オホタタネコがやってきた。 オホタタネコは、オホモノヌシとイクタマヨリヒメの子孫であるとされる。そしてミワ山のふもと(ヤマト)でオホモノヌシをまつったという。その話は古事記にあるが、ここでははぶく。 とにかく、それまではヤマノカミだったのが、あらためてオホモノヌシとしてまつられたわけである。そのオホモノヌシは、クシ・ミカ・タマでもあった。 ミカは、酒(クシ)をかもしたり、たくわえたりする・おおきなスヱ器のカメをいうが、むしろ、そのクシびなるはたらきをさすといえる。タマは、生命力のもとである。 タマヨリは、そのタマを胎内で成長させること。イクがつくから、その成長が活発であることをいう。 ここで、イクというからにはオホタタネコよりも、むしろ「イクヒ(活日)」のほうに注目してみたい。 クシ・ミカ・タマ イク・タマ・ヨリ イク・ヒ ミワ神社の裏手にある末社に、活日社(一夜酒社)がある。サカヒトの、イクヒをまつる社である。 オホタタネコがイクヒを、ミワの酒造りのトジ(刀自)に任命したという。イクヒとは、よい香をただよわせて・いのちにみちた、という意味であろう。 一夜酒というと、醴(ライ)で、豊は,ととのえられたお供えのこと。それはカユ状の白いあま酒である。その酒は、ささげられることによって、また転換してオホモノヌシのエキス(液精)となる。イクヒのうた。 「コノミキハ ワガミキナラズ ヤマトナス オホモノヌシノ カミシミキ イクヒサイクヒサ」 このうたは、大王のいくひさ、幾世までもひさしく栄えることをいのって、ささげられたものとされている。こうしてミワ山は「うまさけのみわ」などと、万葉集でうたわれるほど名だかくなった。 ●「しるし」と「はやし」 スギ玉が登場するのは、そのずっと後のことではある。室町時代あたりになってからとされている。 しかし「しるしのスギ」ともいうからには、その前からあったにちがいない。「しるし」は「験」であり、霊験あらたかということである。ミワ山のしるしであるスギのその枝葉で、病や災害の邪気をはらったものとみられる。 また「スギばやし」は、ヤマのスギの木をハヤシてくるというように、枝葉を折りとってくる。またそれを家屋敷にたててまつることをいう。ハヤシはまた、ふやし・分裂分割させ・つよめることでもある。 ちなみに西洋にもスギ玉のようなものがあり、おどろく人もおおい。たばにしたり輪にしたり枝のままさげたりしている。英語ではこれを「ブッシュ」という。ヤブのことであるが、打っておいだすというのがもとの意味である。 その木には、のちにはマツなどの常緑樹をもちいるようになった。もともとはアイヴィ(きづた)をもちいた。酒の神バッカスやディオニュソスの神木でもある。 ギリシャ神話において、ゼウスは酒造りの神の性格をひめている。発酵・熟成・蒸留の神秘的なプロセスが、ゼウスであった。その性格がやがてディオニュソスにゆずられたのである。 こうみると、ミワ神話にもつながるところがありそうで、なかなかおもしろい。 室町時代にもどろう。みぃさんスギがうまれたころ、反骨・風狂の禅者、一休もうまれた。その作とされているうたに、こんなのがある。 「極楽をいづこの里と尋ぬれば 杉の葉たてし又六が門」 又六が門は、又六酒屋の店先をいう。看板がわりにスギばやしがたててあった。一休は酒を媒介にして、俗化した禅宗とするどく対決した人である。その酒は、ただの酒ではない。ミワの山からハヤシされたスギの枝葉の酒であった。 スギの枝葉は、ただ店先にさげられるだけのものではない。それは酒をかもすときに、ひそかに壺や桶にいれられた。ただし防腐剤としてではない。 明治時代の末まで、酒造りはむずかしい技術だった。わるい臭気がでやすい。いちばんこわいのはヒオチで、どぶ水のように変質してしまうのである。 異臭としてまず「つわり香」がある。つぎに寝ぐさい「冷えこみ香」。つんと鼻はじく「つん香」や「ぶしょう香」などがあげられる。異臭がなければ、それは上級酒となる。しかし庶民ののむ中級下級酒となると異臭がつきまとう。 そんな酒をかもすときにはスギの枝葉をいれる。スギの木香によって異臭をうまくカバーするわけだ。実際には、極上のスギの根をうすくけずっていれるようだ。しかしそれだけでは不安だから、しるしのスギとしてスギの枝葉もいれる。それで邪気をはらおうというわけである。 当時のミワは三本スギの紋章のもと、山伏たちの拠点になっていて、ミワ神道はいちはやく、庶民へ接近する第一歩をふみだしていた。そこからの、しるしのスギの・スギばやしによって邪気をはらったのである。 金まみれの禅坊主たちは、上級酒をのんだ。しかしいっきゅうさんは、このようなスギ酒を、庶民とともにのんだのだといえよう。極楽はむしろこちらのほうにあるのだ。 やがてスギ玉は、新酒ができたのをしらせるシルシとなった。だがそれだけではない。最初は青々としていたスギ葉の色が、だんだんと赤茶色にかわっていくのに気づく。それはまた、酒がゆっくりと熟成していくシルシでもあった。 新酒というのは、がらがわるく・あらあらしい。しかしそれが適度に熟成すると、なめらかで、すべり・のどごしもいい。味にまるみがあってさばけがよくなるのである。 ●酒をかもすスギ スギの枝葉と酒の関係はふかかった。しかしスギの木と酒のあいだにもふかい関係がありそうである。ただし桶や樽のことだけをいっているのではない。 スギの木についている微生物は、日本酒の酵母にちかいという おもしろい説があるのだ。ただし事実かどうか、確認はとれていない。だが、木から酒のような香りのする液がわきでたという伝説はよくある。 これは樹液の糖分が、自然発酵したものとみられる。猿酒というように、それを猿のしわざにしている。しかし樹液が酸素不足のときには発酵がおこるという学術報告がある。 そういえば養老の滝の伝説。 たきぎ取りの若者が、毎日山へ仕事にでかけ、帰りには老いた父の大好物である酒を買ってもどっていた。ところがある日のこと、崖のしたにすべりおちて気をうしなう。 気がつくと、あたりには酒の香りがほんのりとただよっているではないか。しかも岩間からわきでる水の色が、酒の色ににている。なめてみると酒のようにあまい。それからは毎日その水をくんで、父にのませたという伝説がある。 養老の滝と名づけられたその水は、手をあらうと肌がなめらかになる。痛むところをあらうとよくなおる。これをのむと、白髪は黒くなり、はげ頭には毛がはえるという。またその水で酒をかもしたら美酒ができたという、若がえりの伝説もある。 要するに霊泉の鉱泉である。しかしその水が酒であったわけでもないし、酒の香がしたわけでもない。そのあたりにたまたま、酒を発酵させている木があったのではないか。 その木はスギなのだろうか。 大正時代のある夏の日のこと。新潟県の城川村の酒造りの家のわきにスギの老木があった。その木からアルコールをふくむしずくが大量にわきでたという。それは10年以上もつづいた。 人々はそれを酒スギとよんだ。なにしろそこは酒屋だから、酒がもれたのを吸いこんだのだろう、というわけである。ただのうわさ話かもしれない。しかし県の名勝記念物に指定されたというからには、ほんとうなのかもしれない。 もし事実だとしたら、酒屋の酵母がスギにうつって自然発酵したわけだ。しかしである。そもそもそういう発酵性の木がそこにあったから、そこが酒造りの適地だと感じて、酒屋をひらいたともいえる。 おなじころ、やはり新潟県の吉川村で、庭先のスギから酒がでてきた。それはにごり酒でちょっと苦みがあった。そしてハチがむらがっていた、という話もある。こちらは酒屋とは関係がないのに、自然発酵がおこっている。 これらの話からどうしても、たのしい想像がかもされてくるのをおさえきれない。 むかしむかしミワ山のスギは、ほんのりと酒のようなよい香をただよわせていた。そこにはざわざわと、うまい水のわきでる泉もあった。それで人々は酒をかもしていた。 ここの酒はできがよかったそしてそんな酒をかもしてくれる、ふしぎな大地の力を感じて、ちいさなヲロチでイメージした。そしてクシミカタマのカミ(醸み)と名づけた。 だが、そのふしぎな力を媒体するものがいる。それをイクタマヨリと名づけた。いまなら酵母である。そしてカミに奉仕するミコさんもまた、イクタマヨリヒメとよばれた。 ヒメミコは聖母でもあった。なにしろカミの子をうんだのだから。その子は、おおきなスヱの器クシミカでもって、カユのようなうま(あま)酒をつくる名人だった。そのふつふつと活気のある酒をイクヒという。それでその子もイクヒとよばれた。 イクヒがカミの子であるなによりの証拠は、酒をうまくかもしたから。その酒の一部は、イハクラにそそがれ、やがてかわいて周囲に飛びちる。そをまたスギはすいこむ。これはカミがたべたことになる。こうして酒は、オホモノヌシのエキスにかわった。そして人々は、うま酒をわかちあったのである。 そしてイクヒはうたう。 「コノミワハ ワガミワナラズ ヤマトナス オホモノヌシ ノ カミシ ミワ イクヒササ」 この酒は、わたくしの酒とはいえ、ほんとうにかもしたのはミワ山のスギや岩、そしてヤマ。天孫の大王よりずっと以前に、ほかならぬこのヤマトをつくったヌシがいた。 そのオホモノヌシじつはクシミカタマのかもしたうまいミワ。 それが、イクヒの酒なの。さあさあ。 (終わり)
●<やなせ・みつせ> 常に先入見のないまっさらな感覚で観察し分析する科学ジャーナリスト。 自然と人間に秘められた謎を専門を超えた言葉でやさしく解説する。 宇宙論、進化論、心理学から宗教、芸術まで、分野をこえて執筆。http://oak.zero.ad.jp/nexus/ 著書 「ガイアのたくらみ」新水社 ギリシア神話の背後にある宇宙創世の科学物語を解読 「誰も書かなかった灰かぶり姫の瞳」幻冬舎文庫「赤ずきんは2度生まれる」幻冬舎文庫 ほか「超常識のサイエンス」「偶然の一致」など