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杉スツール100選 第4回 「踏み台」おまけもあります。
文・写真/南雲勝志
スツールというシンプルな形を通して、杉の家具材としての可能性を探る。目標100点。
 
 戦後ダイニングルームやリビングルームが流行するまで、日本では椅子やテーブルはまだまだあまり一般的ではなかったといってもいいと思う。それまでは床や台の高低を利用して、座ったり、作業をしていたわけである。縁側や、縁台、文机やちゃぶ台など常に地面や床とセットで機能する概念がそこにはあった。
 踏み台はそんな中で、簡単に移動して高いところのものをとったり、ちょこんと座ったり、作業台にしたり、まさに万能モバイル家具であった。踏まれ、たたかれ、ぶつけられそれでも味を失わない。素晴らしい。その小ささ、そして単純な機能故、誰でも、どこでも簡単につくられ、形状も階段状のもの、収納を持ったものなどバリエーションも多い。また地域地域の個性もあった。そして杉材はそのメインの素材であった。

  今回紹介するのは、宮崎県日向市美々津の旧船問屋、河内屋で見た踏み台である。今は資料館を兼ねているその住宅の二階の壁に沿ってひっそりと置かれていた。
 美々津は江戸時代、高鍋藩の商業港の重要拠点となり、九州山地の木材が耳川を下り、巨大な千石船に運ばれて関西方面に出荷された。明治時代まで廻船問屋や商家が数多く軒を連ね「美々津千軒」と呼ばれ大いに繁栄していた。その後、鉄道や道路の発達、木材需要の低下により港は衰退し、まちなみも老朽化し、危機に陥ったが、現在保存地区に指定され、徐々に元の姿を取り戻しつつある。
 もともと港の文化、船箪笥などがあちこち置かれ、当時のにおいがぷんぷんする。この踏み台は二階の個室に置いてあった。2mほどの天井高でほどよい狭さ。美々津港が一望出来るこの部屋はおそらく客室であったろう。ピンクの壁の色が独特の風情を感じさせる。そして小さくも凛としてその空間に存在を放っている。ドキッとした。こんな小さな踏み台が空間をコントロールしている。今、そんな家具が日本にどれだけあるだろうか?
 帰りがけ庭を案内してもらった。そこの縁側にまた別の踏み台があった。たぶん何かの作業をするために、補助部材がついていたが、やはりこれも100年という時の長さに刻まれた空気を秘めていた。

 現代のいい踏み台をきちんとつくろう!改めてそう思わずにはいられなかった。
小さくても100年残る踏み台をつくりたい。

   
美々津のまちなみ:この港から紀元前、神武神武天皇が東征のため、高千穂から美々津に滞在、大和へ向け船出をしたと伝えられている。それが本当に思える神秘的な海である。
   
 
元廻船問屋 旧河内屋:安政2(1855)年築、市指定文化財。

 
縁側に置かれた踏み台。
  船家具は何ともいえない魅力がある。


●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。
最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部

 
 
 
   
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