連載

 
杉スツール100選 第3回 「杉太」-ナグモ少年の杉ものがたり
構成/南雲勝志
スツールというシンプルな形を通して、杉の家具材としての可能性を探る。目標100点。
 

 第三回のスギスツールは手前みそながら、杉太を紹介します。
 杉太はいろいろ思い出深く、この「月刊・杉」web版創刊号で内田みえさんも語っていてくれたように、自分にとってもひとつのターニングポイントになったような気がしている。
 今回は杉太というデザインを通し、そんな背景も含め語っていきたいと思う。

 まず、自分の事を少し。ボクは新潟県六日町(現在は南魚沼市)で生まれた。自然環境は抜群である。まちの中心を流れる魚野川、その周辺に畳のように広がる水田、そしてその周囲を新潟国境から連なる越後山脈に囲まれ、魚沼盆地と呼ばれる。近くには2000mを超える巻機(まきはた)山、そして清酒でも知られる霊峰八海山がそびえる。約半年雪に閉ざされる事を除けば本当に過ごしやすい環境、美しい景観である。もっともそんなただの田舎臭さがいやで東京に出ることになったのだが。
 そして長い時間が過ぎ、今デザイナーという職業についている。いろんな仕事をやった。いろんな形を考えた。いろんなものをつくってきた。そしていろんな人間と会った。デザイナーは一本筋が通っていないといけないと言われるが、それはいわば精神論的な部分で、デザインする形や方向性、考え方はむしろ自分の環境や体験で常に流動的なものだと思っている。結局いつも悩み、考え、また感動したりしながら揺れ動いているのである。

 前置きはこれくらいにしよう。

 
 

南にそびえる巻機山の雪景色

 

東は八海山。このい山の中腹に小学校の学校林があった。高学年は全員で下草刈りに行った。


 ボクはこれまで、形の意味や、緻密で必然的なディティールと美しいプロポーション、そして職人的な確かな技術がハーモニーを奏でながら成立すると信じ、追求してきた。それは昔も今も変わらない。そうやって開発した商品の一つが1994年発表したproject candyという家具シリーズである。
 ただしいつも限界を感じていた。ひとつはプロダクトというものが商品としての側面を併せ持っているからでもある。その頃ボクは、商品はそれが売れて多くの人に使われてこそ初めてデザインの良さが生まれるという考え方に、否定も共鳴も出来ずにいた。
 たとえば車や携帯電話などに代表されるマスプロダクトを例にとると、自分の欲しいものがひとつもないのに大ヒットが生まれ、グッドデザイン等の常連になり、しかも経済を動かしている。なんか「オカシイじゃん」と思ってもそれが現実だ。それで世の中は流れている。
 待てよ、家具はマスプロダクトじゃない、せいぜい10個か20個のロットで自分の気持ちが通じる人だけにわかってもらえばいいんだ。そう思い改め、頑張ろうともしたが10個売るのも大変だ。人に知ってもらい、少数の家具を丁寧につくり、発送や販売後のメンテを含め、総合的にフォローしていく体制も必要になってくる。つまりとても手の掛かることなのだ。これは結構大変だ。ダメだ。ついそう思ってしまう。この辺が最後の詰めが甘いといわれる所以だ。
 そんなことを思っていた頃、内田洋行の若杉浩一さんから声がかかり、これからののオフィス空間の新しい提案をしたいということで、小泉誠さんと3人で、慶応大学のG-SECという次世代スペースのための提案をすることになった。24時間、学生から研究者、そして世界中との情報のやりとりをする超マルチハイテックスペースである。
 そこで考えたこと。それは、時間や人間の枠を超えてインタラクティブに作業をしていく時、実は人間は仕事よりも人間本来の本能や欲求を優先させる方が効率が上がるのではないかということだった。
 この体験は面白くて、さらにそれを発展させ2001年、楽しいオフィスを提案ようと「on-hot」という展示会を行った。on-hotとはofficeつまりoff-iceの反意語である。そう、やっぱり言葉や名前は大事なのだ。officeという言葉から受ける精神的イメージからまず我々は逃れなければいけない。

 話がそれたが、ここでdaisugi(大杉)という物体(というのももはやこれは家具ではない?)を杉でつくった。主旨はこうだ。仕事空間で人びとはいろいろな行動──たとえばディスカッションをしたり、ものを書いたり、パソコンに向かったり、疲れたら休んだり──をする。そんなさまざまな行動を一気に包み込む母艦のようなものがあれば、人はそこに集まり、憩い、少し離れて自分だけで作業をしたり、とてもキャパシティーのある空間が生まれるのではないかということである。母艦の回りには仕事を楽しくするもろもろの戦闘機も生まれた。
 ここで言いたかったのは、オフィスというきっちりした空間の中におおらかで、いい加減で頼りになる、そんな存在が必要だということだ。
 この少し前、20世紀の終わり頃(すごく昔のよう)、宮崎県日向市でまちづくりに関わり始めた。何と宮崎県は杉生産日本一。それをまちづくりに生かしたいと指令が出た。この頃から、30年間封印していた生まれ故郷の風景や杉の事がやたらと頭をよぎるようになった。単に歳をとっただけではない。忘れていた大切なものが蘇りだしたのだ。

 
project candy Coro-hako 収納という機能は持っているが.....

 
project candy TV-stage. 幅が2mあるために、良いんだけど自宅のリビングにはいらないとよく言われた。

 
慶応義塾大学 G-SEC

 
on-hot展 大杉とその仲間達
宮崎県日向市市10街区

 それは現代の社会が抱えている問題や、始めに書いたデザインに対する疑問、もっと言えばこれから日本人はどこに向かって何を大切にしていくべきか? そんな事に対する答え探しの様相にもなってきた。ただそれはそんなに簡単な作業ではなかった。ゆっくりゆっくり記憶をたどりながら、思考錯誤していく感じだ。
 でも一人で考え、悩んでも埒があかない。仲間を増やそう、と思った。それで若杉さんや千代田さんに声をかけ結成したのが、あの「日本全国スギダラケ倶楽部」である。深刻な杉問題を考える会ではなく、杉とともに日本人を考える明るい会にしたい。冗談から杉ではないが、同調してくれるスギダラな人びとがとても多く、重くなった組織を今後どうしていこうかという悩みも抱え始めた。
 さて、なかなか杉太に行かない(杉を語ると話はいつも長くなる)。
 話を元に戻すと、家具のデザインに行き詰まりを感じていたボクはここで杉に少しシフトする傾向が生まれてきたのだ。もうどうだっていい。家具業界の流れや、売れる売れないといった議論、マーケティングだとか、最近の傾向。そんなすべてのしがらみから離れ、今必要と思え我々がこれから大切にしていかなければならないことをやろう。これは杉そのものが持つ特有の大雑把さと、弱さ、そしてまちづくりやそれに関わった多くの人びとの声から判断した今世紀になってからのボクの判断だ。
 2002年秋、二つのイベントがあった。ひとつはTOKYO DESIGNER WEEK 「椅子展2002」という展示会である。実験家具というテーマである。ここで思ったこと。そのころちょくちょく行くようになっていた製材所で見る杉の角材はとってもきれいに思えた。あれを何とか出来ないだろうか? 時間をかけ金をかけ、いろいろやるよりももっと大切なことがあるんじゃないか? 自分たちの宝を見直そう! そんな気持ちを込め「杉子」という家具を発表した。これは家具というよりそのままで、角材を束ねただけだったので、内藤廣さんはじめいろんな人に、手抜きだ、手抜きだと言われていた。ボクにとってはもちろん手抜き等でなく、もうくだらない家具をつくるのはやめよう、もっと身近に良いものがあるじゃないか、というメッセージだったのだが。
 もうひとつは新宿のOZONEで行われた「イスコレ商店街」である。メンバーは五十嵐久枝、上田麻朝、小泉誠、村澤一晃、若杉浩一とボク。10回ほど続いた鈴木恵三さんプロデュースの「イスコレ」最終回だ。それまでずいぶんいろいろな家具がその展示会で提案されたが、最終回は見せるだけでなく、売っちゃおう! という企画であった。まずい……自分が最も苦手とするところだ。こいずみ道具店の小泉さんなどは次々と売れるものをつくるに違いない、どうしよう。
 ここで考えた。ともかく今回は売らなければならない。それも上代2万円である。送料、梱包用の段ボールなども必要。すると下代1万円? いや、ここまできたら杉で行こう! 金をかけず魅力的な家具にすればいい。最小限手をかけて、杉の良さが伝わって、そのために表情を持たせて。
 コストダウンも考えた。角材は磨きすぎない方がいい。モールダーを通すだけにしよう、とか、塗装はやめよう、金具はただの鉄でいい。いや、さびるから磨かないステンレスだ。でも杉が曲がるからアジャスターは必要だ……と、岐阜のセンダイ家具、千代稔さんに相談しながら試行錯誤した。
「金具が下がらないんですよ、10個セットでは」
「もういいよ、金具は20セットでも。とにかく安く安く」
 そんな会話をしながら、試作品が出来た。金具の角度の微調整以外はほとんどイメージ通りに出来た。「ヨシ、あとは売るだけだ」。
 不安のまま展示会当日を迎える。やはり小泉さんは売りまくっている。「やばい!」と少し思ったあとで「ナグモさん一台売れましたよ」とスタッフから声がかかる。それからはぱらぱらと売れ、何と初日だけで目標の十個が売れた。結局予約も入れ、展示会終了までに20台売れた。「良かった!」久々に売れる喜びを感じた瞬間であった。
 しかし、それ以降本気で商品化する気持ちも湧かず放っておいた。唯一、若杉さんが会社(内田洋行)に打診してくれたが、「おまえ何考えてるんだ!ウチに杉の角材を売れっていうのか!」と一括されたらしい。断られたにせよ、とってもうれしかった。
 正式な商品化こそしていないが、この杉太君は意外とと登場する機会が多い。現在も内田洋行のショールームに自分の家のような顔をして住んでいるし、展示会やイベントがあるとすぐに呼び出される。じゃまにならず、主張しすぎもしない。何かと便利な存在なのである。そしてその時々、出会ったひとの一部が「あの〜あそこに置いてある杉太とかってやつですけど、買うことが出来るんですか?」
もちろんである。少しいやいいやながら千代さんも協力してくれる。
 そうか! こういう存在の仕方もあったんだ。焦らず、心配せず、欲しいと思った人にその都度供給していく。それで良いんだ。あれ、でも昔の職人さんてたぶんそんな調子でものをつくって売っていたんだ。
 あまり過度の期待しない方がいい。自然に行こう。
 そう「杉太るは、なお及ばざるが如し」だ。

 
製材所に積まれた杉の角材。

 
 
杉子とスケッチ。
 
杉太のスケッチ

 
 
センダイ家具にて試作チェック

 
イスコレ商店街で展示した杉太。向こうにスギコも見える。

 



 その後もスギダラ三兄弟(若杉、千代田、南雲)は杉の可能性を信じ、きっと世の中のためになると、まじめに啓蒙活動を続け、スギスギとスギダラケの家具開発をしていくことになる。どんどん大きくなり、どんどん重くなり、どんどん長くなり、バリエーションは増え続けている。
 家具だけにとどまらず、シェルターやウォールはもちろん屋外のストリートファニチャー等でもその勢いは止まらない。

 今、思っていること。それは、杉太やその仲間たちを1社で商品化し、販売するのではなく、その土地土地でそれぞれの杉を使い、それぞれの職人さんの手で少しづつ形や雰囲気を変えながら、その地域に根付いていく存在になってくれれば、ということだ。そうやっていかなかったら埒があかない。なんたって杉は日本中に山ほど(山だけど)ある。もっともっと杉と人の良い関係を増やしていかないと。
 そして人と人の良い関係がそのあたりから生まれるような気がしてならない。


●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部

 
動杉(ウゴキスギ):長さ3m高さ40センチ

 
杉平(スギヘイ):6mの120角の角材4本。台の高さは700。組み立て方法使い勝手とスギダラ一族の傑作

   
公園に並んだスギダラファミリー。杉太も右下に見える。なりは小さいがは杉太はやっぱり基本形。
 
   
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