8月杉話

油津(あぶらつ)木橋記(その2)

文/写真 小野寺康

杉の木橋? 今どきそんな橋がつくれるの? 都市設計家・小野寺さんが取り組む、屋根付き木橋づくりの現場を3回に渡って紹介します。

 
   

□ 五分の一模型
 地元日南の大工・熊田原(くまたばら)正一さん製作の「象川橋・五分の一模型」が、デザイン会議の会場に持ち込まれた。全長4mに及ぼうという巨大なそれは、もはや試作品といっていいものだった。これが手弁当であることに読者は驚くだろう。
 私も会場で驚倒して見ていると、いつの間にか熊田原さんがそばに立っておられた。こういうとき、職人さんとの会話は実に簡素だ。前置きなく、苦労話も自慢話ももちろんなく、いきなり淡々と私に製作上の問題点や改良点などを教えてくれた。
 さらには、
 「支柱を持って強く揺すってみてください」
という。
 やってみた。思っていた以上に剛性が高い。
 熊田原さんは、さらには腹ばいになって乗ってみろともいう。これも、やってみた。会場の隅で木橋模型に腹ばいでゆさゆさ揺すっていたのは私である。やってみて分かったが、実に頑丈である。
 「なかなかしっかりしとるでしょう」
 そういって熊田原さんが初めて、愛嬌のある顔でにっかりと笑った。
 ところで、日南の造船技術の特徴は「曲木」である。脂分が多くて柔らかく粘る飫肥杉は、造船材として重用された。舷側板に曲木は不可欠だ。蒸したり煮たりして曲げていくのだが、もちろん薄くすれば木材は曲がりやすい。だが強度を得るには厚いほうがいい。厚く、強度を保持したまま曲げるに飫肥杉は絶好だったのだ。
 屋根構造に、ぜひともこの曲木技術を導入したいと考えていた。一般に屋根付き橋は、洋の東西を問わず「暗くて重い」のが特長だ。しかし、ここは南国・日南である。明るく、軽快な橋にしたい。そこで、屋根を曲木のアーチトラスとして開放感を与え、最終的には屋根にトップライトを用いるものとした。橋の内部に入ると、天井の曲木スリットの中央から光が降り込む形である。だがこの部材、原寸大では強度を持ったまま曲がるかどうか、この時点では定かではなかった。しかし――。
 「この曲木がいいです。絶対実現せんにゃなりません」
 と、熊田原さんが語気を強める。
 要するに、この模型というか試作品から、設計者は極めて有用なフィードバックを豊富に与えていただいた。同時に強度的な確証も。
 通常なら、こんなシチュエーションは設計時にあり得ない。想像力と構造計算を駆使して設計図書をまとめ、その後工事発注までスタディの余地はないのだ。 もちろん今回もそのつもりだった。ただ、木材WG(ワーキング・グループ)を編成して、情報だけでも地元のノウハウをできるだけ取り入れたいと思っていた。
 熊田原さんも、もちろんWGのメンバーだ。だが、情報だけでない、彼の「模型」によって、全ての設計パラダイムがこのときシフトしたといっていい。
  だが、幸福はまだ終わりではなかった。
 熊田原さんの活躍は、まだ序の口だったのだ。

 


写真1/デザイン会議に持ち込まれた五分の一模型。圧巻である。

写真2/熊田原さんの五分の一模型では、薄い材で曲木の雰囲気が表現されていた。本来的な設計では、この曲木はもっと厚みも強度もあるもので、屋根垂木とともにアーチトラスを形成する主部材となる。
また、最終的な設計では、中央の棟木がなくなり、代わりにトップライトが通って、そこから光が降り注ぐ形だ。棟木は、トップライトの支持材で代替する考えなのだ。伝統工法でモダンな空間をデザインする意図である


写真3/これが飫肥石によるカウンターウェイト。これが文字通り「重石」となって、主桁の片持ちが成立する。両岸から突き出た片持ち桁の上に、さらに桁が掛け渡されて橋がつながる。

   

□ 材料から設計する
 橋梁の主構造は、飫肥石をカウンターウェイトにした片持ち桁を両岸から突き出すものだ。(写真3)その間を桁が渡って橋がつながる。問題は、片持ち桁として必要な断面が確保できるかどうかだった。最初に設計図で提示されたこの主桁断面は、どうも地元で確保できそうもない寸法だったのだ。
 桁せい(断面高さ)が重要だ。「せい」が取れれば、厚みがなくとも桁の本数を増やすことで持たせられる。逆に「せい」が届かなくとも、ある程度までなら、厚みを取って剛性を高める考えも可能だ。
 ともかく、実際にWGとして、森林組合に行って流通材の断面を見せてもらった。
 目の前に積まれた材木は、決して貧相なものではなかったが、それでも確かに、設計断面に足りそうもない。少し無理があったか。全く違う構造にするしかないか。構造エンジニアである空間工学研究所の岡村さんからは、代替案も受け取っている。しかし、この片持ち梁構造のデザインは相当に画期的で、さすがに岡村さんだと、私自身も気に入っていただけに、後ろ髪を引かれるようだった。
 東京に戻って数日後。
 宮崎県油津港湾事務所の担当者である、那須紘之さんから連絡があった。
 「構造を変えるのは少し待ってください」
 「でも材が取れそうもないですよね」
 「いや、それがあ

のあと、日南の山を上げて材を探してみることにしたんです。みんな、材が取れないという結果に納得してないんですよ」
 何とか目途が立ちつつあるという。
 このプロジェクトのために、日南地区及びその周辺から大口径材を特別に伐り出してくることになった。だが、たまたま1、2本出たくらいでは困る。製作時の予備や将来のメンテナンスなども考慮に入れると、ぎりぎり安定供給が見込める最大断面、というものを見極める必要がある。
 さらにその後の報告では、確かに揃うには揃うが、相当に寸法がぎりぎりだという。
 ここまで来ると、実証してみないとどうしようもないという雰囲気になってきた。
 どういうことかというと、実際に桁を一本切り出してみようというのだ。
 「つくってみないとわからんちゃ。」
 平然と誰もがこの言葉に同意する。
 簡単に言っているようだが、設計段階でそんなことをやっている現場なぞ、聞いたことがない。私は、宮崎県民の民意の高さを見たと、本心からそう思った。
 加工当日――。
 材をどの向きで、どう切出すか、喧々諤々である。
 初めは、材木の芯を外して大断面木材から主桁を二本取りしようと思っていたが、実際に墨を入れてみるとまるで無理だと分かった。芯を持ったままだと後から「割れ」が出やすいのだが、そんなことはいっていられない。むしろ、芯材で割れを防止するにはどうするか、どこに背割りを入れて、防腐はどうするのかという議論に移行した。
 その横で、構造を担当する東大の腰原さんや空間工学研究所の萩生田さんらが、関数電卓をひっぱたき始めた。やがて、
 「この断面は取れますか」
 新しい設計断面が提示された。
「この断面なら持つのですか。これならなんとかなりそうだ」
 ついに製材が始まった。
 巨大な木材が、フォークリフトでバランスを取りながら製材機に運ばれていく。機械小屋からあふれそうだ。
 縦切りの大径用鋸がうなりを上げる。木材がキャタピラで運ばれて鋸に近づいていき、やがて、とろけるようにスライスされていく。みずみずしい杉の香が、あたりの空気に満ちる。
 切り出された端材も、受け止めるには数人掛かりだ。
 これを繰り返して、巨大な角材が出来上がった。

   
 
 
写真4/宮崎県南那珂森林組合に木材を確認。当初設計の材寸が取れないことがわかり、一時は構造変更かと思われたのだが・・・・・・

 
 
写真5/今回の木橋のために特別に大口径材を伐り出してもらった。それをもとに桁断面として取れる寸法を確認する。

 
 
写真6/大口径材を製材する。フォークリフトで製材機まで運ぶところ。この材をもってしても、設計断面が確保できるかどうか微妙なのだ。いかに挑戦的な設計か知れる。

  
 
写真7/製材機に乗せられた杉材を前に、切り出し方を打合せ。喧嘩しているのではない。真剣なのだ。左は大工の熊田原棟梁。右は宮崎県南那珂森林組合の星衛俊和さん。ベテランの加工場主任だ。

 
写真9/次第に「角材」に製材が進む。

    
写真8/製材の様子。端材といっても半端でない寸法である。倒れこむのを数人掛かりで押さえ込みながら、材を切断していく


  次は寸法調整である。
 設計寸法どおりに材寸を整えていく。また、途中からわずかに先細り気味に角度がつくといった桁形状に切り出さなければならない。森林組合でできるのは製材までである。ここからは大工の出番となる。
 切り出されたばかりの材に、熊田原さんはその場で墨を打つや、ためらいもなく電鋸で一気に切断していく。
 まるでメカジキでも捌くようだ。
 やがて、断面もみずみずしく削りだされた桁材が一同の眼前に現れた。
当初断面にわずかに足りないとはいえ、目の当たりにした桁材は、想像以上に生々しく、力がみなぎって見えた。誰もが顔を見合わせ、やがて笑い出した。
 「これはすごいわ。何載せても壊れるもんじゃあらせん」
 そんな言葉が出る。
 図面では、どんな大断面でもただの「線」の結合である。ところが、実際の材はそのようなヴァーチャルなものではない。切れば血が出るほどの、強烈な重量と質感を保持しているのだ。つくづく現場はアナログだと思う。ものすごい存在感だ。
 いけるかもしれない――。
 つまり、地域に住まう人々の想いを、造形に込めることができるかもしれない、と思った。

 今回の実験で、安定供給できる材としては、樹齢80年〜100年のものでなければならないことが明らかになった。逆にそれで得られる断面で、もう一度設計が組みなおされた。今回得られた断面寸法が、新たな基準となったのだ。
 血肉を得た設計が、本格的に動き出した。
 このように、地場の状況や技術を確かめながら、この木橋の「かたち」は次第に育て上げられてきた。
 

 
 
写真9/桁材への切り出し加工。製材機ではおおよその寸法までにしか加工できない。最終寸法に整えるのは大工の仕事。

  
写真11/ついに切り出された木橋の主桁。実際に見ると圧倒される重量感である。設計寸法が見えた瞬間だ    

□ 木を曲げる
 次に問題になったのは、屋根であった。
 熊田原さんが指摘した、例の曲木である。本当に実現可能かどうか。これを見極めないと、設計がまとめられない。
 そんなとき――。
 その後のデザイン会議場で、またも熊田原さんである。
 「こんなものを作ってみました」
 数枚の写真に写ったそれは、およそ3mに及ぶ曲木の製作治具であった。細長い鉄板製の風呂釜で木材を湯がいて曲げた後、治具でプレスしながら整形できる仕組みになっている。なんと、これまた全て自主的に製作してくれたという。
 「曲がりました。厚い材を一発で使うのではなく、薄めの材を積層させるほうがいいようですな。でも、出来ばえとしては、厚い材がいい。今いろいろやってみておりますが、曲がるやもしれません」
 感謝するのも忘れて驚くほかはない。
 やがて、宮崎県の景観シンポジウムでもこの「熊田原さんの活躍」は紹介され、大変な評判になってきた。こうなると現場は活気付く。
 やがてついに熊田原さんは、厚さ40ミリ、単独一枚の曲木を実現させた。
 設計のバックボーンがついに整ったのである。

 さて、連載も次回で最終回。
 やがてこのような持ち出しに影響されてか、宮崎県は、原寸大の部分試作を正式に業務発注することに決定した。そして、喜ばしくもこれを熊田原工務店が受注したのである。
 ついに実現した、原寸部分模型の開発と、そこから得られた設計フィードバックを次回はご報告する。設計者だけでは思いも付かない伝統工法によって、金物を使わない木橋ディテールが次第に見出されていく驚きと興奮を、果たしてお伝えできるだろうか。

 
 
 
 
写真12/熊田原さんが独自に開発した「曲木加工機」。細長い風呂釜を両側にすえられたボイラーで沸かす。その中に木材を寝かせて、茹で上げながら、プレスして木を曲げていく

 
写真14/プレスされた木材は、曲がった形状のまま乾燥をかける。「戻り」を押さえ込みながら乾燥させることで曲木が完成する。

 
写真13/完成した曲木。これはまだ最初の段階で、この厚みだと部分的に材が裂けてしまった。その後、工程を改良して、ついに厚材が曲がった

   
●〈おのでらやすし〉・都市設計家,小野寺康都市設計事務所・代表

   
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